ひろえあきらの思いつきコラム
立教大学キャリアデザイン研究会の特別顧問をされている廣江彰(立教大学経済学部教授)のつぶやき系コラム。
毎週末更新!

バックナンバー 


2006.6.5
 誰でも何かの犠牲になるかもしれない、でも…
     ゴメン!一日遅れアップ、前回の続きです。………


フランスの作曲家ドビッシーの「月の光」を使った映画は、なぜか結構あります。
たとえば、フィリップ・カウフマン「ライト・スタッフ」。オーケストラ編曲の「月の光」をうまく使った、「視覚」上の効果を活かしたものでした。

「月の光」、といえばトニー・スコット監督「マイ・ボディガード」(2004年)があります。
この映画からは、分かることがたくさん。たとえば、ジョン・クリーシー役のデンゼル・ワシントンを凌ぐ実在感を見せたピタ・ラモス役、ダコタ・ファニング。9歳の少女ピタ役でクリーシーに投げる質問の数々、会話の受け答え、クリーシーとの間の取り方、などなどハイソお嬢さま育ち役が言葉使いからも伝わってきましたね。

クリーシーとピタの関係、リュック・ベッソン「レオン」(1995年)でのレオンとマチルダ(12歳という設定)に例えて論評されます。それもそうだ、「守りたい。男に生きる希望をくれたのは、たった9歳の少女だった」、と「マイ・ボディガード」の公式HPにあるんだから。
でも、「守るために命を捨てる」というストーリー、子どもにだけ?韓国映画「MUSA(武士)」(2003年)では、奴隷だった槍使いヨソルが明の「姫」を助けますね。心理学者ではない私は、幼い女の子を守るからといって、そこに特別な意味があるわけでもなかろうと思うのです。

で「月の光」。結構重要な役回りだとは思いますが、それ以上に、クリーシーが市場で買うリンダ・ロンシュタットのCD、“BLUE BAYOU”、凝った処理の映像に重なって哀しく響きます。


2006.5.28
 アイルランド−誰でも何かの犠牲になるかもしれない、でも………


時折池袋駅近くのアイリッシュ・バーに立ち寄り、慎ましやかにギネス(Guinness)のハーフを頼んで僅かばかりの時間を過ごすことがあります。

アイリッシュ・バーだからといってギネスだけではなく、キルケニー(Kilkenny)というビールもあります。ところが、元来酒飲みではない私、KilkennyをKilkellyといい間違えて注文することも。もちろんKilkennyがアイルランドのビール、Kilkellyはアメリカへの移民がテーマのちょっと哀しいアイリッシュアメリカン・ミュージックです。

そのアイルランド、酒と移民だけの国じゃあなくて、文学も映画も豊富。それに、世界に痕跡を残すケルト音楽の伝統もあります。
そんなアイルランドはダブリンが舞台の映画、「ヴェロニカ・ゲリン」はアイルランドの麻薬犯罪とたたかって殉職したひとりの女性新聞記者のお話し。この映画も、「アラビアのロレンス」に同じく主人公の死から物語が始まります。

北の国らしい湿った映像に被さるハリー・クレッグソン・ウィリアムスのアイリッシュ調音楽を背景に、赤い車に乗った主人公役ケイト・ブランシェットの凛とした姿が教えるのは、ひとりが社会をかえるということかもしれません。
アメリカの北ベトナム爆撃に反対したのも、イラク侵攻に反対したのも、最初はひとりの女性でしたね。エンドタイトルを歌うシニード・オコナーの声、万感迫る風、です。

2006.5.21 「懐かしき60年代、ときどき音楽」」


イタリアはヴィンチ村のレオナルドさんが今また世を騒がせていますね。20日公開「ダ・ヴィンチ・コード」はキリスト教を冒涜している、と上映禁止の声もあったほど。

映画で象徴学者ロバート・ラングドンを演ずるのはトム・ハンクス。数々のヒット作に出演しているこのハリウッド・スター、知らない人はいないですね。
で、今回は「ダ・ヴィンチ・コード」じゃなくて(まだ観ていないので!)、トム・ハンクスが初監督を務めたという“That Thing You Do”(邦題「すべてをあなたに」)について。

この映画、ペンシルバニア州のまちで若者たちが結成したロック・バンド"The Oneders"→“The Wonders”はやがてヒットチャートを上り詰め、全国デビューということになったが、その直前で自分たち本来の姿を取り戻す、という「さわやか系」ストリーです。

映画テーマ曲の“That Thing You Do”、実在のロック・グループFountains of Wayne のアダム・シュレジンガーの手になるもの。60年代ロックの雰囲気が伝わります。
雰囲気といえば、まちを行き交う人々、電気製品や車などなど、「東京タワー」以上に「その時代」を感じさせるアイテムが画面の細部まで溢れていましたね。
でも、主人公のパパ、電器店主の台詞、時代の変化を言うには非常に的を得ていると思いませんか。
“I don’t believe I wanna live in a country where you have to stay open on Sundy to do Business”

2006.5.14 わが「ウエストサイズ物語」


レナード・バーンステインの曲で有名な邦題「ウエストサイド物語」、日本公開は1962年だったように思います。この映画、生意気盛りだった私たちへの影響は絶大でした。

舞台はニューヨークのダウンタウン。イタリア系のジェット団とプエルトリコ系シャーク団の争いを挿んだストーリーは、ジーンズを穿いたジョージ・チャキリスの長い足と共にガキどもの心をすっかり奪い、しばらくは学校の廊下で「指パッチン」と「足上げ」それに「抗争」が横行したことはご想像に難くないと思います。

ガキの私たちは、このミュージカルがシェイクスピア「ロミオとジュリエット」の焼き直しと知る由もなく、ただ格好良さにあこがれるばかりでしたが、「トゥナイト」、「マリア」、「アメリカ」といったバースタインらしい曲の数々にも気持を動かされていました。

とはいえ、ガキどもの関心をもっとも引いたのは彼らが穿いているジーンズ。それからアメ横通いの子どもは確実に増えたでしょうね。そのジーンズ、日本の若者が夢中になるのは先立つこと55年日本公開の「エデンの東」、ジェームス・ディーンの影響です。

歌舞伎町の映画館に行った当時小学生の私は、満員の観客で壁に押し付けられたまま彼らの身体の隙間から映画を観続けました。それから50余年!日々わが「ウエストサイズ物語」に苦闘する私は、J.ディーンのサントラLPジャケットを部屋に飾っているのであります。

2006.5.7 
天才として生まれなかったわれわれ普通人の由緒正しき選択 
                                 −モーツァルトの教え


今年はW.A.モーツァルトの生誕250周年。普段は地味なクラッシック業界も売上がプラスとのこと。さすがに世界でもっとも知られた著名人、亡き後も現世を躍らせています。

モーツァルトの映画というと“Vergesst Mozart”(Slavo Luther、1985年)もありますが、同時代を生きた宮廷音楽家アントニオ・サリエリの視点を借りたミロス・フォアマン監督の“AMADEUS”(1984年)は、多くのみなさんがご覧になったでしょうね。

“Mozart!Mozart!”という冒頭の叫び声が耳に残り、どんなにイヤミな奴であっても天才は天才、天は決して平等に才能を与えるわけではないと今更ながら認識させられる映画でした。

以前コラムに取り上げた「ショーシャンクの空に」で、主人公アンディ・デッフレーンが監視の目を盗んでレコードをかける場面がありましたね。刑務所中に流れるモーツァルトのデュエット、歌っている二人のソプラノ、オーケストラも指揮者も、最初の和音で分かってしまう私自身のオタク振りに驚きましたが、原作にはない(と思う)ステキなシーンでした。

ニ週間の独房から戻ったデッフレーンが挙句にこう言います。“There’s something inside that they can’t get to…that they can't touch. “「何が言いたい?」というレッドに答えてデュフレーンは”Hope“の一言。レッドが返します。“Hope is a dangerous thing.”
“dangerous”じゃあない私たちの職場では、地道にやれること、きっとたくさんありますね。

2006.4.30 男の映画と、女の映画−でも、まだまだ「映画と音楽」なんです。


デヴィット・リーン監督の“LAWRENCE OF ARABIA”、日本公開は1963年12月。
当時中学生だった私は期末試験が終わると、最終日の最終回上映に間に合うように有楽町から日比谷の上映館まで走りました。それからもう40年以上。大昔になりましたねえ。

さて、この映画、驚きました。館内暗くなるとモーリス・ジャール作曲の“Overture”が始まったのですが、延々と流れる間もスクリーンは暗いまま。映写機の故障かと思ったほどです。
“Overture”が終わるとようやく画面が明るくなり、Main Titleとなったのですが、カメラは真上から。左手にオートバイがあって、男が右手から往復。画面が水平になって、男=ロレンスがエンジンを吹かして走り始めたと思ったら、加速するうちに事故が。映画の最初で主人公を殺してしまってから物語が始まる、という映画を観たことがなかったので新鮮でした。

もちろん、驚きはたくさん。とくに砂漠のシーンは、みたことのない目に魅力的でした。なかでもこのワンシーン。蜃気楼を背に、地上から浮き上がったように近づいてくるラクダに乗った黒い影。オマー・シャリフ演ずるアリの鮮烈な登場シーンはすっげえ!のひと言。

それを白百合イチゴの登場シーンにパクった、といわれる深田恭子主演「下妻物語」(2004年)はみなさんご覧に?下妻ジャスコやジャージー尼崎、ご近所のみなさんには「迷惑」な映画かもしれませんが、このステレオタイプが「ありそう」でおかしかったですね。サントラも実に多彩。とくにTommy heavenly6の“Hey my friend”は、みなさんの月曜朝に「効き」そう?

2006.4.23 DIVAが「鍵」−やっぱり、まだまだ「映画と音楽」です。


リュック・べッソン監督の“THE FIFTH ELEMENT”(1997年)は、TVCMがシリアスな映画であることを予想させたから、映画館で「アレー!」と思った方も多いはず。
実は私もそのひとり。シリアスなどころか、完璧なカリカチュアに肩透かしを食らいました。

“THE FIFTH ELEMENT”には相変わらずの「間抜け面」な人々が登場。らしくないPresident Lindberg(Tiny Lister Jr.)、どうみても将軍様にはみえないGeneral Munro(Brion James)など、凝りに凝った画面の隅々までヘンテコリンな面々が溢れてベッソンらしかったですね。

で、映画に登場する“DIVA(ディーバ=歌姫)”のPlavalagunaは、「鍵」(「石」ですか?)を握る重要な役柄。歌うのが“LUCIA DI LAMMERMOOR”(Donizetti)の“Oh giusto cielo"というアリアですから、映画はそれから「お気の毒に」という展開に突入するわけです。

DIVAの登場する映画といえば、ジャン=ジャック・べネックスの“DIVA”(1981年)。歌われるのが、Catalani 作曲の“LA WALLY”から 「私は遠くに行きます」という死に向うアリアでした。この映画、「分からんわ?」がたくさん湧いて、さすがフランス映画、だったのでは?

同じフランス人監督の手になっても、ハリウッド製は簡単明瞭、フランス製は「よう分からん」というところが対照的。どちらかといえば、ベッソン流のまじめ・おかしな「らしくなさ」の方が、あなたの職場で普段よく目にするシリアスな「光景」だと思いませんか?

2006.4.16 “働きすぎ”の日本人


前回4月9日のコラムはとうとう書けませんでした。ゴメンなさい。

殺到する仕事がこなせず、怒涛の二週間をおくる羽目になったためなんです。朝日を浴びながら甲州街道をタクシーで帰り、数時間後には出勤というアホな日々を過ごしていました。働き始めた30年ほど昔を思い出しましたが、無理できませんね。昔と違って………。

ということで、今回は急遽“働きすぎ”から思いついたことを取り上げましょうか。

Sofia Coppolaの“LOST in TRANSLATION”、冒頭シーンは主人公Bob Harris(ビル・マーレー)が成田空港から新宿に向っているはずなのに、なぜかタクシーは靖国通りを四谷方向に!
ご覧になった方、気がつきましたか?歌舞伎町のネオンが進行左手に見えましたよね。

というシーンで思い出したのが“GUNG HO”(1986年)。日本が異様に元気だった頃のお話です。
この映画の主人公、職場長Hunt(マイケル・キートン)の日本は銀座、秋葉原で始まります。日本の「顔」も20年ほどの間に銀座から新宿に代わった、ということなんでしょうか?

“GUNG HO”では、アメリカ人からみた日本人の異様な働き方もテーマのひとつ。アカデミー賞監督ロン・ハワードの鋭い突っ込みがチクチクと刺さり、結構笑えない映画でした。
“LOST in TRANSLATION”Karaoke Timeの歌詞“There was no way of knowing”、まんまです。

2006.4.2 映画と音楽、その何回目だったか?−わが「金、返せ〜!」の記 


映画もたまには「ゲェッ!」というものに当ります。今回はそんなちょっとつまらないお話し。

劇場公開は知らなかったので最近まで観ることなく、しかし気にはなっていた映画をDVDでようやく観ました。作曲家ロベルト・シューマンにちなんだ東西ドイツ合作(1983年)映画、若きナスターシャ・キンスキー(Nastassja Kinski)がクララ・シューマンを演じています。

キンスキーは13歳でヴィム・ヴェンダースに才能を見出されたとのこと。キンスキー、ヴェンダースといえば「パリ、テキサス(Paris, Texas )」(1984)を思い出す人、多いでしょうね。「パリ、テキサス」も、音楽をきわめて印象的に使っていた映画でした。

今回の映画、邦題が「哀愁のトロイメライークララ・シューマン物語ー」という一種の音楽映画。「哀愁の…」という邦題にはビビった私でしたが、その懸念、大「正解」!ちなみに原題は「春の交響曲(Frühlings Sinfonie)」、ご承知の通りシューマンの第一交響曲ですね。

幼い天才ピアニストのクララが音楽を目指し始めたロベルトと出会うところから、やがて父フリードリッヒの反対を押し切って結婚した夫のロベルトが、最初の交響曲を書き上げ初演に至るまでのお話し。ビビったのは「何が哀愁だよ!」、「何んでトロイメライかよ!ゲェッ!!」だから。脈絡の掴めないこの映画、ドイツはライプチッヒでの自動車産業調査の折、わざわざロベルトの生地ツヴィッカウにまで足を運んだ私には、やっぱり「金、返せ〜!」級映画です。

2006.3.26 
ふたたび、涙、涙、のいち日−ゼミナール4年生が無事卒業しました


早いもので、もう一年が経ち、3月25日(土)に私のゼミ生たちも卒業式を迎えました。

私にとっては毎年一回恒例のイベント。慣れ切ってしまったところがありますが、卒業する当事者たちにはもちろん初めて。社会人へと一歩を踏み出す前の重要なイベントではあります。

卒業といえば、そんなアメリカ映画もありましたね。
マイク・ニコルズ監督が1967年のアカデミー監督賞を受賞したかの有名な「卒業」では、今じゃあ「ストーカー」だろうが、というダスティン・ホフマン演ずる主人公ベンジャミンの最後に教会から花嫁を強奪するシーンが有名です。しかし、私には二人で逃げる際に十字架を使って扉が開かないようにするシーンが非常に暗示的でした。

この映画、サイモン&ガーファンクルの映画挿入曲がステキでしたね。少し前のデュオ復活コンサートでも、その歌の数々がもちろん歌われていました。

現代の「卒業」を迎えた青年男女は、ベンジャミンのように野蛮なわけはありません。やはり卒業式後のゼミナール卒業コンパは涙、涙。泣くのが大好きな彼ら、もちろんそのシーンは豊富に用意されているのですが、泣かせるだけではなく、まずは大いに笑わせたあとに実は泣きどころが待っている、という手の込んだ在学生の仕掛けは、私にとっては妙に印象的でした。
そういうことでは、実に芸が緻密な彼らです。脱帽!

2006.3.21 
コラム番外編−ローマにて、我が想定外の事態にたじろいだ失敗の記!


今回は、19日にコラムをアップできなかったことへの帰国後弁解を兼ね、イタリア便り第二弾。

ローマで、かの有名なミケランジェロのピエタを観にバチカンまで行きました。初めてバチカンでピエタを観たのが、かれこれ30年前のまだ1ドル=360円の時代。旅費と現地物価の「重さ」を超して、目の前に置かれているミケランジェロにいたく感動したものです。

今回のバチカンは土曜日の夕方。比較的に空いている時間帯だったので、待ち時間30分で中へと入りピエタの前に。驚いたのが、前は直ぐ側で観ることができたのに、今回は厚いアクリルかガラス板越しにちょっと離れて、でした。そういえば、事件がありましたよね。

ということで、沢木耕太郎とまではいかないものの、その夜ローマのホテルで私はピエタとバチカン近くのホテル・コロンバスとをお題にコラムを認めたものでした。
原稿は、ホームページ管理者にメール添付で現地午前1時くらいまでに送れば間に合う、と思いつつ夜も更けた頃に再度持参ノートPCを立ち上げると、オイオイ、でした。Windowsが勝手に終了するではありませんか!それから幾多の無駄な時間を過ごしたわけです。イタリア・ホテルでのネット環境は?と気にしつつも、まさか「勝手に終了」とはまったくの想定外。

で、「幻のコラム」で言いたかったこと。塩野七生さんも言う「マリアはなぜ若いか?」。どうです?「少女のように若い」マリア、みなさんはどのようなご意見をお持ちでしょうか?

2006.3.12  イタリア便り−ちょっとシリアスな映画と音楽です


私は今、イタリアはフィレンツェにいます。時間の合間、DVDショップでひょっとしたらと動物的嗅覚に頼って探したら"SACCO e VANZETTI"という1971年の映画、ありました。英語版は既にないと思うので、イタリア人は忘れていないゾ、ということかも?

この映画、邦題は「死刑台のメロディ」という卒倒しそうなもの。「死刑台のエレベーター」というのもありましたが、「メロディ」というだけに音楽は有名になり、主題歌が当時のヒットチャート上位をしばらくの間飾ったものです。

シリアスだというのは、この映画、アメリカへの移民であるニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティの二人が、1920年代の「赤狩り」(といっても若いみなさんは知らないか?)の中で殺人罪の濡れ衣を着せられ、死刑になるまでの国際的に有名なお話しだからです。

音楽はエンニオ・モリコーネ。そうですね、マカロニ・ウエスタンだけではなく数々のハリウッド映画でヒットを飛ばした作曲家です。モリコーネの曲に乗って歌うのが、かつて一世を風靡したジョーン・バエズ(これも古いか?)ですから、主題歌がヒットしないわけはない。

でも、エンドタイトルに併せて歌われるヒット曲より、映画中に挿入されるバラードにハッとさせられるのです。バラードはいずれもサッコが獄中から息子に宛てた手紙が歌詞に。たとえば"Only silence is shame"なんて、今の時代にも生きる言葉かも知れないですね。


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